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以下はカテゴリーもしくは月別「4つの時代と4つの御心」で絞り込んだリストです。
2010年4月 5日
 

エピローグ ~新しい天と地~

 アダムとエバの失敗以来、神は4つの時代を通して、私たちのための救いの計画を実現していきました。

 誰も、自分の努力や資格や才能で救われた者はいませんでした。神の目にかなう正しい人間は、誰もいませんでした。

 すべての時代を通して、救いは神の恵みにたよる信仰で得るものでした。

 「恵み」とは、受ける価値のない者たちが受けることができる特別な愛です。神の4重の栄光は、ひとまとめにして言うならば、神の恵みの栄光なのです。

 それは、神がその愛する方(イエス・キリスト)にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。(エペソ1・6)

 
 最後に、千年王国のさらに先に待ち受けている、聖書の物語の壮大なハッピーエンドをここで簡潔に紹介します。

 千年が終わると、それまでの天と地(つまり現在の宇宙と地球)は終わり、そして白い御座の裁き(通称・最後の審判)が行われます。歴史上のすべての人間は神の前で裁かれますが、すでに4つの時代の中で救われた人々は、もはや裁かれません(黙示録20・11-15)。

 そして、ここから先は、まったく別次元の新天地が始まります。

 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。(黙示録21・1)

 

2010年4月 2日
 

神の愛の高さ

 私たちに最高の報いを用意してくれる神の究極の御心は、神の愛の高さの現れです(エペソ3・18)。

 聖書は、私たちがただ救われただけでなく、イエスと同じ天の座に置かれた、と書いています。これは、私たちを救い、天での高い地位まで引き上げ、豊かな相続財産を備えてくれる神の愛の高さです。

 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛ゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。――キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。(エペソ2・4-6)

 一人の若い社員が、社長に呼び出され、高層ビルの最上階を訪れます。するとそこには、社長室があり、一緒に役員室がありました。

 見るとその机の一つには、その若者の名前が書いてありました。なんと社長の寵愛を受けた彼には、大抜擢されて重役の椅子が用意されていたのです。

 若者は、何もそれに見合う成果はあげていません。ただ、一方的な恵みです。

 社長は言います。

 「君の地位はもう確保されているから安心したまえ。ただしまだ実力が足りない。今はいったん仮の姿として一社員としての働きに戻りなさい。実力がつき次第、随時それに見合った権限のある役職に就けていく。ただし、それは出世ではなく、本来与えられている重役の地位に戻るためのプロセスに過ぎないのだが」

2010年4月 1日
 

臨在の栄光

 究極の御心と関係が深い神の栄光は、臨在の栄光といえるでしょう。

 臨在とは、「その場に神の存在が現される、感じられる」ことです。千年王国は主が再臨し、その完全な姿を現して直接治める時代なので、完全な臨在が現れます。

 そしてこの栄光は、今の私たちが究極の御心を意識して歩むときにも豊かに表れます。なぜなら神の国を広げるために、主から聖霊が与えられ、私たちに臨んでくれるからです。

 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。(使徒1・8)

 神の国とは聖霊による義と平安と喜びに満ちているところです(ローマ14・17)。神とチームとなって、キリストの体となって生きていくとき、聖霊が私たちを満たし、内から外へと溢れ流れていきます。

そして主の臨在のなか、救い、清め、解放、成長、変革が起こっていきます。

2010年3月31日
 

花嫁なる教会(御国の相続)

やがてイエスが再び来るとき、 主と共に労苦してきた勝利者たちには、素晴らしい報いがあります。

 私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。花嫁は、光輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。(黙示録19・7-8)

 教会時代の勝利者たちは、千年王国が始まるとき、イエスのもっとも身近にいる者たちとして集められ、御国を受け継ぎ、主と共に治めます。彼らは花嫁なる教会と呼ばれる存在です。

 地上で男女が結婚して一つとなるように、イエスと教会が完全に一つとなるのです。

 神に仕え、人生を捧げる者たちには花嫁(の一部)としての地位と、相続財産という報いがあるのです。報い自体を目的として仕えるわけではありませんが、報いは希望を与えてくれます。

 この方(キリスト)にあって私たちは御国を受け継ぐ者ともなりました。みこころによりご計画のままをみな行う方の目的に従って、私たちはあらかじめこのように定められていたのです。(エペソ1・11)

 異邦人もイスラエル人も、共に一つとなって神の国を相続します。これらは族長時代や律法時代の預言者たちも知らなかった奥義で、教会時代になってから使徒と預言者を通して神が啓示したことです。(エペソ3・5-6)

 イエスがもっとも大切にしているもの、もっとも価値ある被造物、それは花嫁なる教会です。王にとっては王国よりも王妃のほうが大切なのです(エステル5・3、ルカ12・32)。

2010年3月30日
 

人生の選び方 その4 「正しいリーダーシップを握る」

 自分の計画を実現するために真理を利用するのではなく、神の計画によりよく参加するために真理を適用していくとき、神実現が起こります。

 つまり神実現とは、神自身への働きではなく、神自身が回復させたいと願っている世への働きなのです。

 究極の御心を悟るなら、あなたの人生は、ただ自分の成功を願うのではなく、家族や友人、会社や学校、そしてスポーツ、政治、ビジネス、教育、メディアなど、社会の様々な領域をより良いものに変革していくことを願うものに変わっていくでしょう。

 それこそが、神の願うリーダーシップです。なぜなら、神の国のリーダーシップとは、仕える者になること、だからです(マルコ10・43)。
 
 究極の成功は、自分が仕えることで自分の周りの人々や社会や環境などが成功することです。

 神に仕えるとは、すなわち神の視点に立って、神が愛するものを愛し、神が助けたいものを助け、神が喜ぶことを喜ぶ、ということです。

 もしあなたの人生の目的が、最終的に自分自身の地位や名声のみにつながり、社会をより良い方向へ変革していかないものならば、神が与えた目的ではありません。

2010年3月29日
 

神とチームになる

 聖書によれば、神と私たちは本来チームです。

 天を治める神は、地上の管理者として人間をデザインしました(創世記1・26)。天を神が、地を人が治めることは神の戦略でした。神は人間たちを無視して勝手に事を進めたくはありません(アモス3・7)。

 天は、主の天である。しかし、地は、人の子らに与えられた。(詩篇115・16)

 あなたの人生が正しく成功している証拠は、あなたの人生を通して神の計画が進展し、神が栄光を受けていることです。

 世の中では「自己実現」という言葉をよく使いますが、究極の自己実現とは、神の夢の実現(いわば、神実現)に参加すること、です。

 たとえ信仰のある人でも、世的な自己実現思考から抜け出せない人は、自分の計画に神を参加させようとします。けれども神実現を目指す人は、神の計画に自分を参加させます。

 究極の御心にかなっているのは、後者です。

 もちろん、あなたの人生はあなたのものであり、あなた自身が主役です。けれども最高の監督である神の指示を仰ぐことが、勝利の秘訣です。

 どんな優秀なサッカー選手でも、監督の意図を汲み取らず、与えられたポジションを放棄して個人プレーだけに熱中するなら、結局活躍できず、チームも勝てません。

 監督の指示を仰ぎながらチーム全体の勝利に貢献してプレーするなら、優秀な監督はあなたを最高の力が発揮できる方法で起用します。そしてチームは優勝し、あなたはMVPを受賞するでしょう。

 あなたが自分のポジションを、監督である神に任せると、神があなたの人生を握ってくれます。

2010年3月26日
 

4番目の時代-千年王国時代-

 4番目の時代区分は、イエス・キリストが再び地上に降りてきて、千年間にわたって王として直接、全世界を治める時代です。

 これは今現在の私たちが生きている教会時代の次に来る時代、すなわちこれから先の未来の出来事です。この時代は通称、千年王国時代と呼ばれます。

 今から約2000年前、復活後のイエスは弟子たちの見ている前で天に上がっていきました(使徒1・9)。そのとき御使いたちは、イエスが再び同じ姿で降りてくる、と伝えました。

 あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。(使徒1・11)

 イエスが再び降りてくること、専門的な言葉では再臨といいます。聖書には、将来イエスの再臨を保証する記述が随所に見られます(ゼカリヤ14章、マタイ24・30他)。

 千年時代には、キリストご自身が文字とおり天から降りてきて、直接世界を治めます。

 見よ、彼が、雲に乗って来られる。(黙示録1・7)

 千年王国時代、キリストと共に世界を治めるのは、それまでの時代で様々な試練を乗り越えて信仰を貫いた者たちです。彼らは勝利者(ローマ9・37)とも呼ばれる者たちです。

2010年3月25日
 

神の愛の深さ

 命の栄光は、神の愛の深さの現れです(エペソ3・18)。

 律法時代、人々は神を礼拝するため、幕屋やエルサレム神殿に集まりましたが、教会時代、私たちは神と交わるためにA地点からB地点に行く必要はありません。なぜなら、一人ひとりが神の霊の宿る宮となっているからです(Ⅰコリント6・19)。

イエスはわざわざ天から地へ降りてきて私たちと交わってくれました(ピリピ2・6-8)。そして地の底まで下って私たちの罪の罰を引き受け(エペソ4・9)、そして今、私たちの心の一番深くにまで入り、その命を与えてくれています。

 神の子が、ここまで低く、深く、降りてきてくれたという事実、ここに神の愛の深さをみます。

 幼い女の子が、地震に遭遇しました。

 彼女は地下室に閉じ込められ、絶望的な気分になりました。「もう誰も自分の存在に気付かない、誰も助けには来ない」。そう彼女は思い、残りの短い時間は死を待つのみだと考えていました。

 しかしレスキュー隊は決してあきらめず、地面を掘り進んで彼女のいる場所まで降りてきました。

2010年3月19日
 

命の栄光

 特定の御心と関係が深い神の栄光の種類は、命の栄光といえるでしょう。

 私たちは時に「聖書の時代のパウロやヨハネは、直接イエス様と会えたから得だ」と考えがちです。けれどもし私たちが当時の時代にいたら、イエスと個人的にゆっくりと時間を持つことができたのは、ごくわずかな者だけだったことに気づくでしょう。

 あなたがイエスを見るのは、大群衆を隔てた向こう側かもしれませんし、水を隔てたガリラヤ湖の船の上かもしれません。

 けれどもあなたが十字架を信じるなら、あなたには彼らより優れた特権があります。

 あなたの内側に宿るキリストの命を通して、あなたは直接イエスとつながり、交わり、力を受けることができます。

命とは、その人の性質、人格、影響力です。私たちの内側で働くキリストの命と交わるとき、私たちは日々変えられていき、古い自分が死に、新しい自分(キリストに似た者)へとなっていくのです。

 これが、主の命の栄光です。

 イエスは福音書のなかで繰り返し、私たちに命を与えると約束しています(ヨハネ10・10他)。これは私たちの内側に宿る、イエスによる命です。

 つまり、キリストを信じる者には、キリスト自身がその内側に宿り、完全で個人的な交わりを持つことができるのです。
 
 信じる者の中には、キリストが住む。これは聖書の語る奥義の一つです。

2010年3月18日
 

完全な現れ、であるイエスの登場

 神と出会うのは、ものすごく危険でタフなことです。

 族長時代も律法時代も、神との個人的出会いを体験した人々は、そのための多くの犠牲を払いました。しかも啓示として受け取ったのは部分的なものに過ぎませんでした。

 しかし教会時代の私たちには、グッドニュース(福音)があります。

 なんと神の子が人間となって地上に来てくれたのです。人間との関係を回復し、直接交わりを持ちたいと願う神が、人間の側まで降りてきてくれたのです。

 それまでも神は様々な方法で人間にアプローチしてきましたが、神の計画が新たな段階に入った教会時代には、いと高き神の子が、自らへりくだって地上まで降りてきて、私たちに語ってくれたのです。

 神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。(ヘブル1・1-3)

2010年3月17日
 

人生の選び方 その3 「正しいリレーションシップを築く」

 神の第二の御心(道徳的御心)を知り、正しい道を歩むライフスタイルを身に着けたなら、第三の段階で大切なのは「関係(リレーションシップ)」を築くことです。

 特定の御心とは、個人的な関係を築き、個人的な使命を知っていくことです。

 ここでいう関係とは、まず神との親しい関係です。行儀が良く勉強もできるけれど、親と口も利かない孤独な子供は健全ではありません。

 神との親しい関係を持つことを意識とすると、普段の生活のふとした場面で、神が語りかけていることに気づき、人生に特別な方向への促しが来ていることを感じるようになります。

 もしあなたの人生の目的が、神との関係(神からの助け、協力、恵み)なしでできる程度のものなら、神が与えた目的ではありません。

 もしあなたが、神を正しく認め、意識し、崇拝していても、「自力で頑張る」という感覚で人生を設定するなら、まだ特定の御心を掴んでいません。

 神が与える目標とは、神の恵み無くしては絶対に達成できない目標です。

2010年3月16日
 

神への素直な告白

 神との個人的な交わりで大切なのは、素直に本音を告白できることです。
 
 旧約聖書・ヨブ記の登場人物ヨブは、冒頭で「正しい人」と紹介されています(ヨブ1・8)。これは彼が道徳的御心(義の御心)には通じていた、つまり4階建てビルの2階部分までは出来上がっていた、ということです。

 けど3階部分となる神との個人的な関係は、まだ持っていませんでした。

 試練中であらわになる彼の特徴の一部は、弱音を吐けないこと(ヨブ3・25)、助けを請わないこと(ヨブ6・22-23)、自己正当化(ヨブ27・5‐6)などです。

 彼は神については話すが、神自身とはほとんど話さない人です。理屈っぽく、何かあてつけがましく、歪んでいて、本音の部分が良く見えません。

 優等生タイプの発言をするけど、神との親しい関係を感じられません。

2010年3月15日
 

 3番目の時代-教会時代-

 3番目の時代区分は、キリストの復活から、やがてキリストが再び天から降りてくるまでの時代、つまり今の私たちが生きている時代です。

 この時代は通称、教会時代と呼ばれます。神の計画は、イスラエル人だけでなく、その他の外国人(聖書では「異邦人」と呼びます)も含めた「教会」を軸に展開します。

 この時代、神が選んだ地上の統治機関は、「教会」と呼ばれる、キリストの弟子たちの共同体です。

 聖書によれば、教会だけが天からの権威を与えられています(マタイ16・18-19、18・18)。神は使徒と預言者を通して教会を訪れ、御心の奥義の啓示を伝えています(エペソ2・20、3・5)。

 教会時代、私たちはイエス・キリストの十字架による罪の赦しと、イエスの復活を信じることで義と認められ、贖われます。

 律法時代の数々の動物の生贄でも達成できなかった完璧な贖いを、神の御子がただ一度の完璧な生贄となって達成したのです(ヘブル9・12)。

2010年3月12日
 

神の愛の長さ

 道徳的御心には、神の愛の長さが表れています。(エペソ3・18)

 それは御言葉を通じて、最後まで、いや永遠までも続く祝福の道へと私たちを導いてくれる継続的な愛です。

 生涯を通して、私たちは神の言葉によって変えられ続けていくのです。私たちの人生に常に寄り添い、一瞬も見放さず、私たちが神の義にかなえる者となれるように最後まで諦めず寄り添ってくれるイエスによって(イザヤ46・3-4)。

 不良少年がいます。

 教師や親などの養育係がどんなに注意しても叱っても、彼の服装や言葉遣いや日常生活は良くなりません。どんなに崇高な基準を語ってあげても、少年は、そんなふうに変化したいとは思いません。また、変化できるとも思っていません。

 ところがある日、学校に転校生がやってきました。

2010年3月11日
 

御言葉の栄光

 エデンの園には、善悪の知識の木と共に、いのちの木もありました。食べるべき実は、神が与えるいのちの木の実です。

 これはイエス・キリストの象徴です。これさえ食べ続けていれば、アダムとエバは知らず知らずのうちに神の義を実体験し、善悪の基準をはるかに超えた次元での生き方ができたのです。

 彼らは「神のようになれる」という誘惑に乗って善悪の知識の実を食べてしまいましたが、もともと彼らは(私たちは)、「神に似せて作られた」者です(創世記1・26)。

 彼らの最大の失敗は、知識の木の実に注目してしまったことではなく、いのちの木の実から目を離してしまったことです。

2010年3月10日
 

御言葉には従えない!?
 
 律法を行おうとすればするほど、じつは私たちは、自分がその基準を実行できない罪人であることを痛感します。聖書は、誰も律法を完全に行うことはできない、と断言しています。

 なぜなら、律法を行うことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。(ローマ3・20)

 律法に限らず、新約聖書のイエスの御言葉も、自力で実行しようとするなら教条主義に陥ります。

 せっかく神の道徳的御心を知り、善悪の知識を得ても、実践できる力は私たちの内側にはないのです。そしてただ「できない」という事実に打ちのめされるだけです!

 それで私には、いのちに導くはずのこの戒めが、かえって死に導くものであることが、わかりました。(ローマ7・10)

2010年3月 9日
 
人生の選び方 その2 「正しいライフスタイルを持つ」

 創造的御心を知り、肯定的なセルフイメージを握ったなら、次には道徳的御心を知り、神が願う正しいライフスタイルを身に着けることがテーマとなります。

 正しい基準・水準を持った生き方をすることは、あなたの人生の選択基準の一環です。

 これは、決してあなたが完璧でなければいけない、というわけではありません。失敗や軌道修正は常にあります。

 ただしビジョンとして掲げるライフスタイルはあくまで神の願う清さ・正しさにそっていなくてはなりません。

 清さとは神の愛に応えたいという情熱の表れです。高い道徳感を持ち、時代や場所や文化が変わっても揺らされない正しい真理・秩序を意識してください。
2010年3月 8日
 

主を恐れる

 道徳的御心(義の御心)を知ることは、正しく神を恐れることにつながります。

 神を恐れる、という表現にあなたは違和感を持つかもしれません。なぜならあなたはすでに創造的御心を知り、神は愛と恵みにみちた優しい方だと知っているからです。

 もちろんそのとおりです。無意味に臆病に神を恐れることはありません。

 しかし神の御言葉の確かさを悟るなら、神が侮ってはいけない方であり、神の定めた道を歩むことの大切さ、その道から外れたときの悲惨さを悟るでしょう。

 聖なる神の崇高さに畏敬の念を持つこと、それが正しく神を恐れることです。聖書は、その思いこそが、知恵の初めだと言っています。

 主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。(箴言9・10)

2010年3月 5日
 

2番目の時代-律法時代-

 聖書が教える2番目の時代区分は、モーセが神から律法を受けとってから、イエス・キリストが十字架で死に、復活する直前までの時代です。

 この時代は通称、律法時代と呼ばれます。神の計画は、アブラハムたちの子孫であるイスラエル民族とその王国を軸に展開します。

 前の族長時代には、神から個人的に語られた者(家系)だけが神の言葉を知りましたが、律法時代に入ると、神はイスラエル全体をご自分の民として選び、預言者モーセを通して彼らに律法(神の教え)を与えます。

 律法は他の民族にはない知恵と悟りであり、イスラエル民族の誇りでした。

 見なさい。私(モーセ)は、私の神、主が私に命じられたとおりに、おきてと定めとをあなたがたに教えた。あなたがたが、はいって行って、所有しようとしているその地の真中で、そのように行うためである。これを守り行いなさい。そうすれば、それは国々の民に、あなたがたの知恵と悟りを示すことになり、これらすべてのおきてを聞く彼らは、「この偉大な国民は、確かに知恵のある、悟りのある民だ。」と言うであろう。(申命記4・5-6)

 
さらに神はエリヤ、エリシャ、イザヤなどの預言者たちを通しても随時イスラエルを訪れ、啓示を与えました。

 神がイスラエルを通して地を治めたので、イスラエルが(特にリーダーである王が)神に従い律法を守ると国が栄え、諸国の上に立ちました。律法から離れ偶像崇拝を始めると、国は衰退し、諸国に攻め込まれました(申命記28章)。

2010年3月 4日
 

神の愛の広さ

 私たちに良いものを与えたいという創造的御心は、神の愛の広さの表れです(エペソ3・18)。

 それは、公園で小さな子供とボールで遊ぶ優しい父親のような愛です。

 子供は、意気揚々と父にボールを投げますが、そのボールはあらぬ方向に外れています。けれど父は「ストライクゾーンではないから」といって無視せず、わざわざ手を伸ばし受け止めます。

 なぜなら、この子の兄が父の横で、「そのボール、受け止めてあげて」と懇願するからです。そして父は、制球力の無い子供に合わせて、まずはゆったりとしたキャッチボールを始めます。

 キャッチボールを楽しんでいると、子供はいつの間にか良いボールの投げ方を体得していきます。気がつくとその投球フォームは様になって、投げたボールが父のストライクゾーンに収まるようになります。

2010年3月 3日
 

御名の栄光

 創造的御心と関係の深い神の栄光の種類は、御名の栄光といえるでしょう。

 名前とは、その人の性質、心、価値、権威、所有権、地位などの象徴です。天地創造以来、すべては神の名によって創造され、神の偉大さを伝えました(ローマ1・20)。

 神の名の権威と力を証明するため、神が現して下さるこの栄光が、御名の栄光です。父なる神が、その御名によって良いものを与えるのも、御名の栄光の現れです。

 そして今の私たちは、神の一人子であるイエス・キリストの御名の栄光も知っています。

 なぜ偉大な神が、ただの罪人に過ぎない私たちの祈りに応えてくれるのでしょうか? イエスの名で祈るからです。

「主イエスの御名によって祈ります」と宣言するとき、それは、自分が罪人であることを認め、イエスが救い主であることを認め、イエスの十字架によって罪が赦されたことを認めるという意味です。

 私たちが謙遜になってイエスの御名に頼り、恵みを求めて祈るからこそ、神はその御手を伸ばしてくれます。父なる神の御名に栄光があるように、御子イエスの御名にも栄光があるのです。(ヨハネ17・1)

2010年3月 2日
 

求めると与えられる
 
 聖書で、イエスは言っています。

 求めなさい。そうすれば与えられます。(マタイ7・7)

 これは真理の御言葉なので、文字通り信じてよいことです。しかしよく読むと、イエスは「求めなさい。そうすれば求めた物がそのまま与えられます」とは語っていません。

 では、求めるといったい何が与えられるのでしょうか? その答えは、続く御言葉の先に書かれています。

 天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。(マタイ7・11)

 天の父が与えるのは、「求めたもの」ではなく、やはり「良いもの」です。

 聖書は、快楽のため悪い動機で願っても、与えられないと断言しています(ヤコブ4・3)。あなたの人生を悪い方向に進ませるようなものを、神は与えたくはありません。

 本当の意味であなたの人生にとって価値ある「良いもの」を与えたいのです。

2010年3月 1日
 
人生の選び方 その1 「正しいセルフイメージを持つ」

 創造的御心を知ることは、あなたの人生の選択の第一段階に影響を与えます。

 なぜなら、自分が神によって作られた傑作だと知ることは、自分自身を肯定的に受け止め、健全なセルフイメージをもたらすからです。

 神は今日もあなたに良いものを与えようと心待ちしています。あなた自身が受け取りたいと願う以上に、神自身が与えたいのです。

 この信仰・希望・愛に裏打ちされた人生観こそが、正しい人生を選択する潜在的な衝動になり、明日に向かって積極的な一歩を踏み出す原動力になります。

 するとあなたは、他人の批判や批評を恐れることなく、堂々と最高の自分を達成していくでしょう。
2010年2月26日
 

間違ったイメージがもたらす悲劇

 「神は私を憎んでいる」「失敗は許されない」「神は私に無関心だ」など、神に対する歪んだイメージは、あなたを祝福から遠ざけます。

 旧約聖書で、神によってエジプトから解放されたイスラエル人は、直後に神が与えると約束した土地を偵察しますが、現地の強大な民族を見て恐れおののき征服をあきらめました。

 彼らはつぶやきます。

 「主は私たちを憎んでおられるので、私たちをエジプトの地から連れ出してエモリ人の手に渡し、私たちを根絶やしにしようとしておられる」(申命記1・27)

 ひどい勘違いです。

 しかし私たちもときに、神の性質を誤解するため、神が備えた収穫(祝福)の機会を遠ざけてしまいます。

2010年2月25日
 

1番目の時代-族長時代-

 
聖書が語る最初の時代区分は、最初の人間アダムが登場してから、預言者モーセが律法を受け取る直前までの時代です。

 この時代は通称、族長時代と呼ばれます。神の計画は、アダム、ノア、そしてイスラエル民族の起源となるアブラハム、イサク、ヤコブら族長たちを軸に展開します。

 人によっては、物語性を重視して聖書の時代区分をさらに細かくする場合もあります(ノアの洪水以前と以降、など)。それも間違いではありません。

 しかし4つの時代区分は、物語としての区分ではなく、人類の救いと神の国の回復のために神が定めた、基本的なルールの変化を節目にした区分です。いわば人間側の視点ではなく神側の視点です。

2010年2月24日
 

 プレミアム・クラリティ開設を記念して、さっそく特別編を掲載します。

 これから始まるシリーズは、聖書が語る歴史の全体像と、神の御心の大枠を知るためのものです。

 短いテキストブック程度の分量があるので、こまかく分けながら掲載しますが、部分的に読むだけでも充分良い学びになります。

 壮大なテーマをまとめた内容なので、読む人によって、分かりやすい部分も分かりにく部分もあるでしょう。初心者向けの説明もあれば、達人向けの説明もあります。

 分からない部分が多少あっても、読み進めていけば、深く、簡潔に、神の計画の全容を悟ることができるはずです。この原稿を通して、神の計画に思いを巡らせて下さい。

 まず、イントロダクションを以下に書き記します。

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