エピローグ
ダビデの華々しいデビュー戦が終わりました。
イスラエルに、勝利がもたらされました。
この戦いの結果、ダビデの人生は一変します。
サウルはその日、ダビデを召しかかえ、父の家に帰らせなかった。ヨナタンは、自分と同じほどにダビデを愛したので、ダビデと契約を結んだ。ヨナタンは、着ていた上着を脱いで、それをダビデに与え、自分のよろいかぶと、さらに剣、弓、帯までも彼に与えた。ダビデは、どこでもサウルが遣わす所に出て行って、勝利を収めたので、サウルは彼を戦士たちの長とした。このことは、すべての民にも、サウルの家来たちにも喜ばれた。(Ⅰサムエル18・2-5)
ダビデは、サウル王の目にとまり、王の宮の住人となり、大親友ヨナタン(サウル王の息子)とも出会い、そして戦士たちの隊長となって国民的ヒーローになりました。
しかし、じつはこれはダビデの長い物語の幕開けに過ぎません。ここからダビデには、長い試練が待っています。
全体の勝利につなげる
ダビデの勝利は、ペリシテ軍たちには恐れを、イスラエル軍には勇気を与えました。
イスラエルとユダの人々は立ち上がり、ときの声をあげて、ペリシテ人をガテに至るまで、エクロンの門まで追った。それでペリシテ人は、シャアライムからガテとエクロンに至る途上で刺し殺されて倒れた。イスラエル人はペリシテ人追撃から引き返して、ペリシテ人の陣営を略奪した。(Ⅰサムエル17・52-53)
ダビデの勝利は、ダビデだけにとどまらず、国全体の勝利へとつながりました。
ここで聖書は大切なことを教えています。
自分の勝利を、チーム全体の勝利につなげることの重要さです。
勝利の後、あなたの心は試されます。
勝利は、あなたの心を高ぶらせ、陶酔させ、おごらせます。
すると判断力が鈍り、慎重さに欠け、敵の巧妙な罠にはまりやすくなります。
聖書の中で、多くの人物が勝利を収めた後に失敗しています。
世から奪回する
ダビデは石投げでゴリヤテを打ち倒し、勝利を収めました。
石投げで巨人を倒した少年ダビデの物語、として語られるのは、普段はここまでです。
けれども、ダビデが次に何をしたかは、あまり知られていません。
ダビデは走って行って、このペリシテ人の上にまたがり、彼の剣を奪って、さやから抜き、とどめを刺して首をはねた。ペリシテ人たちは、彼らの勇士が死んだのを見て逃げた。(Ⅰサムエル17・51)
石投げという賜物に忠実に徹したダビデですが、じつはそれだけでなく、最後はゴリヤテの剣を奪って首をはねることで決着をつけました。
剣自体は善でも悪でもありません。
電力や原子力と同じで、使い方しだいで善にも悪にもなります。
ダビデは、「敵の武器は汚れている」などとは言わず、むしろ奪い取って有意義に使いました。
この剣は、世から奪い返して有効活用するべき素材(技術、芸術、文化)などの象徴です。
神の義を意識する
ペリシテ軍の巨人ゴリヤテは、石投げを手に戦いに挑む少年ダビデを軽く見て、ののしりました。
しかしダビデは、信仰によって、聖書の中でも特に有名な勝利宣言をゴリヤテに返します。
ダビデはペリシテ人に言った。「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。きょう、主はおまえを私の手に渡される。私はおまえを打って、おまえの頭を胴体から離し、きょう、ペリシテ人の陣営のしかばねを、空の鳥、地の獣に与える。すべての国は、イスラエルに神がおられることを知るであろう。この全集団も、主が剣や槍を使わずに救うことを知るであろう。この戦いは主の戦いだ。主はおまえたちをわれわれの手に渡される。」(Ⅰサムエル17・45)
ダビデの、瞬発系の信仰のスイッチが入りました。
ダビデは「この戦いは主の戦いだ」と言っています。
この一言は、ダビデ対ゴリヤテを象徴する一言です。
彼が注目していたのは、自分でも敵でもなく、イスラエルの神の栄光です。
ダビデは、決して現実(ゴリヤテ)が見えてなかったわけではありません。
それよりも高い次元にある神の臨在を見ていたのです。
賜物に徹する
ダビデが自分のこれまでの経験を説明し、ゴリヤテとの戦いを申し出ると、サウル王は承諾しました。
そしてダビデのために自らのよろいや剣を貸します。
王様の武具を借りるとは、なんと光栄なことでしょう。
ところが、です。
サウルはダビデに自分のよろいかぶとを着させた。頭には青銅のかぶとをかぶらせ、身にはよろいを着けさせた。ダビデは、そのよろいの上に、サウルの剣を帯び、思い切って歩いてみた。慣れていなかったからである。それから、ダビデはサウルに言った。「こんなものを着けては、歩くこともできません。慣れていないからです。」ダビデはそれを脱ぎ、自分の杖を手に取り、川から五つのなめらかな石を選んできて、それを羊飼いの使う袋、投石袋に入れ、石投げを手にして、あのペリシテ人に近づいた。(Ⅰサムエル17・38-40)
ダビデは、王様のよろいや青銅のかぶと、そして剣すら拒否して、川にある石を武器として選びました。
サウルの武具を拒否した理由は「慣れていなから」です。
充分な準備
ダビデの勝利の要因の一番目は、彼が充分な準備を積んでいたことです。
ダビデは戦いの前、サウル王に次のように言いました。
ダビデはサウルに言った。「しもべは、父のために羊の群れを飼っています。獅子や、熊が来て、群れの羊を取って行くと、私はそのあとを追って出て、それを殺し、その口から羊を救い出します。それが私に襲いかかるときは、そのひげをつかんで打ち殺しています。このしもべは、獅子でも、熊でも打ち殺しました。あの割礼を受けていないペリシテ人も、これらの獣の一匹のようになるでしょう。生ける神の陣をなぶったのですから。」(Ⅰサムエル17・34-36)
ダビデは、日ごろ羊の世話をする中で、獅子や熊を打ち倒す経験を積んでいました。
彼は訓練に裏づけられた勝機を感じていたはずです。
人間の筋肉には瞬発力に優れた速筋(白い筋肉)と、持久力に優れた遅筋(赤い筋肉)があります。
同じように、信仰も瞬発系と持久系があります。
聖書によれば、人は誰でもチャンスに出会うけれども、それがいつかは誰も知りません(伝道者9・11-12)。
もし自分に与えられたチャンスを確実に活かすことができたら、それはすばらしいことです。
今からおよそ3000年前、一人の少年が、その後の彼の人生を一変させる大勝負にチャレンジし、見事に勝利を収めました。
その勝利は彼だけでなく、国家のその後の運命をも変えました。
少年の名前はダビデ。
後のイスラエル王国の王として、その名を残す人物です。
当時、イスラエル王国はまだ揺籃期にあり、国家としては未成熟で不安定な状態でした。
当時、民たちは王様を欲しがったので、神はサウルという人物を初のイスラエル国王に選定しましたが、サウルは神に忠実に従わなかったので、神は新たに王となるべき人物を選びました。
それがダビデです。
国家が新しいかたちへと移り行く激動の時代に、神は彼をリーダーとして選んだのです。