ひとつのときに、ひとつのことを
凡人は多くのことができますが、達人は一つのことしかできません。
神はあなたを器用貧乏にしたいのではなく、プロフェッショナルにしたいと願っています。
賜物と召命に従うコツは、与えられた小さな仕事に集中することです。
イエスは地上での3年半、父なる神によってイスラエル民族にだけ遣わされました。
召しに忠実だったからです。
しかし、イエスは答えて、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外のところには遣わされていません」と言われた。(マタイ15・24)
当時のイエスは中国伝道も日本宣教もしていません(それらは弟子に託された働きです)。
イスラエルは日本で言えば四国程度の大きさです。
中でもイエスはカペナウムなどガリラヤ湖畔のいくつかの村々での活動が中心でした。
ガリラヤ湖畔の山に登って見下ろすと、両手を広げて囲める距離にある、田舎の村々です。
イエスのミニストリーは地方伝道だったのです。
しかもイエスが直接育てたのは、大げさに言えば12弟子だけです。
3年半、田舎の町で、12人を育てる。
天から下ってきた神の子なのに、なんと限定された働きでしょう。
しかし、その限定された働きこそが、未来を永遠に変えるインパクトを残したのです。
サタンは私たちが成長しそうになると慌てて「何もさせまい」とします。
それでも私たちが前進していくと、今度は逆に「多くのことを頑張らせよう」とします。
どちらも罠です。
主があなたに望んでいることは、ひとつのときに、ひとつのことです。
主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」(ルカ10・41−42)
もしもあなたが与えられた現在の召命に徹することができず、「もっと多くのことをしなくちゃ」と感じているなら、召命について誤解をしているかもしれません。
召命とは、あなたが「実を結ぶ」というミッションを行うための神の備えです。
だとするなら、視点を変えると、召命とはあなたが「キリストに似る」というビジョンに到達するための備えとも言えます。
転職、ミニストリー、結婚、引っ越し...いろいろな召しがありますが、大切な軸は、「あなた自身がキリストに似た者へと変化していくための召し」です。
そして、主はあらゆる機会を通して、あなたをキリストに似た者へと成長させることができるのです。
たとえあなたが牢獄に閉じ込められ、何も活動ができなくても、そこで主はあなたの心を練り上げ、成長させることができるのです。
それもまた、一つの召しの段階です。
あなたの表面的な行動が変化するから実を結べるのではありません。
あなたの存在そのものが変化するから実が結べるようになるのです。
一つの召しに専念し、そこであなた自身が取り扱われることを求めましょう。
動くより、留まるほうが、はるかに難しいものです。