「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」(Ⅰコリント15・55)
聖書には、主の御心にそって人生を歩んだ勝利者たちは、ただの信仰者たちとは違う特別な報いや扱いがあることを教えています。
ここで、聖書に描かれた勝利者の証拠を見てみましょう。
・「よくやった。良い忠実なしもべだ」と褒められる
その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』(マタイ25・21、23)
これは、与えられたタラント(資金)によって上手に利益を上げたしもべへの、主人からの誉め言葉です。
つまり実を結んだ者だけが受け取れる言葉です。
あなたが主から与えられた様々な恵みを正しく用いて、良い実を結んだならば、将来あなたはこの賞賛を受け取ることができます。
主であるイエスからこの一言を聞いたらなら、あなたはそれまでの地上での労苦などすべて吹っ飛んでしまうでしょう。
逆に、地上でどれほど多くの賞賛を人から受けても、神の国での報いとはまったく関係ありません(ヨハネ5・41、44参照)。
もし主から「悪いなまけ者のしもべだ。」(マタイ25・26)と言われたら、地上でのすべての快楽もすべて吹っ飛んでしまうでしょう。
・義の栄冠を頂く
兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。(ピリピ3・13-14)
パウロは栄冠を受けるために目標(ゴール)に向けて走っている、と言いました。
パウロだけでなく、私たちのためにもこの栄冠は用意されています。
ただし、この栄冠は参加賞ではなく、勝利者賞です。
栄冠は、イエスを信じたすべての人が受け取れるわけではなく、成熟した勝利者たちが受け取るものです(Ⅰペテロ5・4、黙示4・4)。
イエスは将来、王の王、主の主として再び降りてきますが、そのときこの偉大な王の権威を共に用いて治める者たちが彼らです。
今の私たちが地上でいかに生きるか、それが私たちの将来の相続財産を決めます。
今の生き方によって、あなたが将来与えられる御国の領地や権威が決まってくるのです。
パウロはイエスと共に治めるチームになれることを強烈に願いました。
「勝利者になりたい!」それがパウロの願いだったのです。
・特別な復活を果たす
私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。(ピリピ3・10-11)
イエスを信じた者たちはみな将来、復活してイエスと永遠に過ごします。それは確かです。
しかしこの御言葉でパウロは、「どうにかして復活に達したい」と願っています。
まるで、特別にがんばらないと復活できないかのようです。
なぜこんな表現をしているのでしょうか?
じつはこの御言葉で使われている「復活」は、原語では聖書のここ一箇所しか出てこない特別な単語「エクサナスタセス」です。
これは「特別な復活」を指しています。
レアでスペシャルな復活、つまり勝利者だけが得られる栄光の復活です。
これは艱難前の携挙にも密接に関わっています(マタイ24・27、37-42)。
(※携挙と7年間の艱難時代については、「キリストの3重の再臨」という教えでまた別の機会に紹介します)
将来、主が再びやってくるとき、キリストと似た者である勝利者たちは、復活時の美しさや麗しさや偉大さにおいても、神の栄光を現す特別な存在になるのです。
パウロはこの素晴らしい栄光の復活を望むゆえに、今の苦しみをものともしませんでした。
あなたが内側に結ぶ品性の実は、復活時のあなたの麗しさに反映します。
あなたが外側に結ぶ弟子の実は、復活時のあなたの相続財産に反映します。