弟子のストラテジー ―賜物と召しに従う―
今回のシリーズタイトルは「ビジョン・ミッション・ゴール」ですが、この3つの加えてストラテジー(戦略)とパーパス(目的)も紹介しましょう。
まず、ストラテジー(戦略)からです。
ストラテジーとは、ミッションを成功させるための具体的な方策のことです。
戦争になれば国家首脳部は戦略会議を開きます。
企業の経営戦略やサッカーの試合戦略など、さまざまなジャンルごとにもストラテジー(戦略)があります。
では、弟子にとっての基本戦略、ストラテジーは何でしょうか?
最後まで走りぬく
「勝利者になる」というゴールを見失ったライフスタイルは、ゴールの分からないまま走っているマラソンレースと同じです。
どんなに全力で走っても賞をとれません。
私たちのゴールは、地上での成功ではなく、神の国での勝利です。
あなたの人生が、どれだけ価値あるものだったかが分かるのは、あなたが地上での人生を終えて天に上がったとき、そして後の時代に復活するときです。
そのとき、あなたは報いを受けるのです。
ただし、このゴールには、一つだけ困った問題があります。
すべては、勝利の機会となる
もしもあなたが、主の召しに応えて勝利の道を歩みたいと願うなら、それは素晴らしい選択です。
しかし真理は自分の力では実行できないことも知って下さい。
真理を行うためには、恵みが必要なのです(詩篇89・14、25・10)。
恵みとまこととは、互いに出会い、
義と平和とは、互いに口づけしています。
(詩篇85・10)
恵みとは、私たちが真理(まこと)を実現できるために神が与える特別な助けです。
天での報い
「天国に行ったら何があるの?」
「将来、どんな風に復活するの?」
「地上での生き方が、どのように永遠の報いにつながるの?」
これらの疑問は私たちが誰でも持つものです。
イエスを信じて救われたら、もうこんな疑問は持たなくなるのでしょうか?
いいえ、よりいっそう、リアルに考え込むようになることでしょう!
永遠の命の救いを知ったからこそ、永遠に向けた生き方を本気で模索することができるようになるのです。
勝利者の証拠
あなたが「勝利を得た」ことを知る場面は、日常の小さな場面から、天で主の御座に進み出るときまで、さまざまな段階があります。
たとえば、あなたは夫婦喧嘩で思わず暴言を吐きそうになります。
しかしそんな肉の思いを十字架につけ、へりくだって妻の言葉に耳を貸し、自分の否を認めて心から謝るなら、それは神の目から見て勝利です。
あなたが心の内側に生じた「高ぶり・自己中心」に勝利したからです。
すると神はそんなあなたの勝利に満足し、あなたの妻をいよいよ取り扱うことができるのです。
神の目に映る勝利と、人が考える勝利とは、えてして違うのです。
弟子のゴール―勝利者になる―
ビジョン、ミッションに続いて、ゴールを見て行きましょう。
ゴールとは、あなたがビジョンを実現したかどうかを計るための達成目標です。
ゴールの分からないマラソンレースに参加したい人などいるでしょうか?
どこまで走れば賞がもらえるのか分からないなら、走る気になれません。
あなたはいつ、ゴールインのテープを切れるのでしょうか?
あなたは、どうすれば「キリストに似た者」となったと知ることができるのでしょうか?
刈り込みの法則
あなたがよりよく実を結ぶため、父なる神はあなたの人生に御手を差し伸べてくれます。
けれどもそれは人の目から見ると、やや意外な出来事かもしれません。
わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。(ヨハネ15・2)
父が用いる手法は、「刈り込み」です。
小さな実がたくさんついている枝があると、農夫はあえて余計な実を刈り込みます。
そして残ったわずかな数の実に、栄養分が集中して注がれるように手入れします。
そうすることで、充分な大きさの実を育てるのです。
でないと商品価値がありません。
③死んで、葬られ、復活する
実を結ぶために必要なのは、まずイエスとつながることであり、次にイエスによって派遣されることでした。
では3番目は?
イエスと共に死に、葬られ、復活することです。
まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。(ヨハネ12・24)
これはイエスが十字架につく前に弟子たちに告げた言葉です。
ここまでにイエスはすでに3年半の偉大な実績を残し、群衆たちはイエスをユダヤ人の王として認め、歓迎していました。
②行く
あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。(ヨハネ15・16)
イエスは「留まる」ことで実を結ぶと説明しましたが、同時に「行って実を結び、」とも語っています。
これはイエスと離れてしまうという意味ではありません。
イエスの願いにそって遣わされるという意味です。
私たちはただ受身でじっとしているだけではありません。
イエスの御心にそって活動する者なのです。