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2011年5月21日
 
実とは何か?

 実を結ぶためには、何が実なのかを知らなければ始まりません。

 あなたが将来、地上での人生を終えて天で主イエスと会うとき、あなたは主に何を捧げることができると思いますか?

 「主よ、私はさまざまな奇跡を行いました!」

 「それはあなたではなく、私が行ったことです」

 「...悪霊も追い出しました」

 「私の御名の権威で行ったことです」

 「...預言も語りました」

 「それは私が与えた恵みです」
 
 「...じゃぁ、いったい私は何を捧げればいいんでしょう?」

 「実です。それらの働きを通じて、あなた自身は実を結びましたか?私はあなたが実を結ぶために召したのです」


 主の名によって預言や悪霊退治や奇跡を行っていても、実を結んでいるとは限りません(マタイ7・21-23)。

 私たちが主に捧げることができる実は、2種類あります。

 1つは、あなたの内側に結ぶ実、すなわち、心の中の品性として結ばれる霊の実です。

 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。(ガラテヤ5・22-23)


 あなたがたとえ人の目から見て大きな活動をできないとしても、あなたの心の内側で実が結ばれているなら、それは主に喜ばれる確かなものです。

 あなたの心の有様、態度、もっとわかりすい表現をすれば「心の美しさ」、それこそが天に持っていける価値ある実です。

 ただし、これは世が考えるものとは一味違います。その理由は後ほど説明します。

 
 もう1つの実は、あなたが外側に結ぶ実です。

 それはあなたを通して新たに育つキリストの弟子たちのことです。

 私には自由がないでしょうか。私は使徒ではないのでしょうか。私は私たちの主イエスを見たのではないでしょうか。あなたがたは、主にあって私の働きの実ではありませんか。
(Ⅰコリント9・1)

 パウロにとってコリントの教会の人々は、彼が手塩にかけて育てた大事な「実」だったのです。

 そんなコリント教会で起きていた分裂・内紛に対してパウロは「私こそあなたたちを育てたリーダーではないか!」と強調し、指導しています。

 
 あなたが誰かに証や福音を伝え、その人が救われたなら、それはあなたの結んだ実です。

 救われてはいても霊的に未熟な人を世話して導くなら、それも実です。

 御言葉を正しく教えて弟子として成長させることも実です。

 あなたが人々をキリストとつなげ、キリストに似た者となれるため仕えていくなら、その人々はあなたの結ぶ実なのです。

 
 与えられている条件は違うので、他人の結ぶ実と比較はできません。

 5人で1つ(1人)の実を結ぶこともあれば、1人で5つ(5人)の実を結ぶこともあるでしょう。

 大きな教会が総力で一気に実を結ぶこともあれば、長い時間をかけて、地道な人間関係で小さな実を結ぶこともあります。

 ある人は幼稚園の先生から聖書の話を聞き、大人になってからまったく別の場所で信仰に目覚めます。

 種を蒔く人も、実を刈り取る人もいるのです。

 こういうわけで、『ひとりが種を蒔き、ほかの者が刈り取る』ということわざは、ほんとうなのです。わたしは、あなたがたに自分で労苦しなかったものを刈り取らせるために、あなたがたを遣わしました。ほかの人々が労苦して、あなたがたはその労苦の実を得ているのです。」
(ヨハネ4・37―38)

 こうなると、いったい誰の成果の実なのか、人には分かりません。

 しかし主はそれぞれの働きを見定め、正しく評価してくれます。

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