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以下はカテゴリーもしくは月別「2011年5月」で絞り込んだリストです。
2011年5月31日
 
実を結ぶための3原則

 イエスは福音書の中で、実を結ぶことについて繰り返し言及しています。

 さまざまなたとえ話も使っています。

 その中でも、もっとも基本となる真理を3つ紹介しましょう。


①イエスとつながる

 わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。(ヨハネ15・5)

 実を結ぶための大前提は、イエスに留まっていること、つながっていることです。
2011年5月30日
 
実で本物を見分ける

 イエスは本物と偽物を見分けるときは「実で見分けなさい」といいました。

 にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。
(マタイ7・15-16)

 ここでの「実」も、内なる実と外なる実の双方から検証できます。
 
 まずは内なる実、つまり御霊の9つの実(ガラテヤ5・22-23)です。
2011年5月25日
 
内と外は関連している

 内側に結ぶ実と外側に結ぶ実は、一見バラバラに見えますが、じつは密接につながっています。

 その理由を、ここで2つ挙げましょう。


理由その1

 第一に、内なる実と外なる実は表裏一体です。

 内なる実は、あなたという存在そのもの、つまりBeingであり、外なる実はあなたの行動、つまりDoingです。

 存在(Being)と行動(Doing)はコインの裏表のようなものです。
2011年5月23日
 

恵みに忠実になる

 多くの実を結ぶことはとても素晴らしいことです。

 けれども私たちは人それぞれ与えられた恵みが違います。

 あなたは他の誰かと比べて自分の結ぶ実が多いか少ないかを一喜一憂する必要はありません。

 愛や喜びや平安に満ちた人もいれば、寛容さや親切心や善意に満ちた人もいます。

 都会でビジネスシーンで用いられる人もいれば、地方の漁村で用いられる人もいます。

 大群衆に影響力を持つ人もいれば、わずかな精鋭を生み出すために用いられる人もいます。

 若くして殉教する人もいれば、長生きして栄光を表す人もいます。

2011年5月21日
 
実とは何か?

 実を結ぶためには、何が実なのかを知らなければ始まりません。

 あなたが将来、地上での人生を終えて天で主イエスと会うとき、あなたは主に何を捧げることができると思いますか?

 「主よ、私はさまざまな奇跡を行いました!」

 「それはあなたではなく、私が行ったことです」

 「...悪霊も追い出しました」

 「私の御名の権威で行ったことです」

 「...預言も語りました」

 「それは私が与えた恵みです」
2011年5月20日
 
弟子のミッション ―実を結ぶ―

 弟子のビジョンは、キリストに似た者になることでした。

 では続いて、弟子のミッションを見ていきましょう。

 ミッションとは、ビジョンに向けて今現在実行するべきこと、使命です。


 ところで、ミッションという言葉は、もともと「派遣する」を意味するラテン語に由来する言葉です。

 神によって派遣された人々、すなわち「宣教師」を英語で「ミッショナリー」と呼ぶのもそのためです。

 また、宣教師たちが開拓した学校を、今ではミッション系スクールと呼ぶのもこのためです。

 そこから転じて、広い意味で「使命・任務」をミッションと呼ぶようになりました。

 今では多くの企業や団体がミッションを掲げています。

 スターバックスのミッションステーツメントは「世界最高級のコーヒーを供給すること」です。
2011年5月19日
 
他人ではなく、自分を吟味する

 あなたは、あなたの隣人がキリストに似ているかどうかを調べる必要はありません。

 あなたの夫、または妻を調べる必要はありません。

 あなたの牧師を調べる必要もありません。

 そもそも、あなたが調べ上げたところで、その人は何も変わりません。

 あなたは他人を変える力は持っていません。

 あなたが調べ、変えることができる相手は、あなた自身だけです。

 「あの人はどれくらいキリストに似ているだろうか?」ではなく、「自分はどれだけキリストに似ることができただろうか?」だけを常に吟味しましょう。
2011年5月18日
 
③手紙の中で

 しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、この名のゆえに神をあがめなさい。(Ⅰペテロ4・16)
 
 ペテロの手紙の中にも「キリスト者」という言葉が登場します。

 彼は弟子たちをキリスト者と呼んでいたのでしょうか?

 いいえ、よく読むと、これはペテロ自身の表現ではありません。

 「迫害者たちから『キリスト者』と呼ばれて苦しむなら」という内容です。

 キリスト者とは、迫害される者たちです。
2011年5月17日
 
②アグリッパ王

 するとアグリッパはパウロに、「あなたは、わずかなことばで、私をキリスト者にしようとしている」と言った。(使徒26・28)

 使徒パウロはこのとき、祭司や律法学者たちに訴えられて、牢につながれ囚人となっていました。

 理由は、イエスの復活を主張したからです(使徒25・19)。

 アグリッパ王の前でも、パウロはイエスの復活を力強く証しました(使徒26・23)。

 牧師や伝道者が刑務所を慰問して囚人へ伝道する話は現代でもよく聞きますが、じつは囚人側から伝道するほうが、より聖書的です(マタイ10・17-19、使徒7章)!
2011年5月16日
 
あなたの変化を認めるのは誰?

 あなたがキリストに似ているかどうか、確認してくれるのは誰でしょう?

 「いやぁ、最近の君はキリストに似てきたね」

 「あなたの今の行動はキリストのようだわ」

 そのようにあなたを評価してくれるのは一体誰でしょう?

 究極的には、もちろん神ご自身です。天の御使いたちも認めてくれると思います。あなたをよく知る教会のリーダーたちも認めてくれるかもしれません。

 けれども、あなたを通して日々現れるキリストを識別する、もっともシビアな審査員がいます。
2011年5月13日
 
内から外へ

 「キリストに似る」とは、自分で自分を造り直そうともがくことではありません。

 自分をキリストに明け渡し、キリストによってまったく新たに造られることです(Ⅱコリント5・17)。

 聖書はあなたに「変わりなさい」ではなく「変えられなさい」と命じています。

 あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。(ローマ12・2新共同訳)
2011年5月11日
 
「似る」とはどういうことか?

 キリストに似る、とはどういうことでしょうか?

 2000年前のイスラエルの生活習慣をまねたり、当時と同じ髪型や服装をすることでしょうか?

 もちろんそうではありません。

 外見だけ宗教絵画のようなキリスト像をまねて、白い衣を着たり、ひげを伸ばすことには、何の意味もありません。

 この点は誰でも「そりゃそうだよね」と納得できると思います。

 しかし、よく注意してください。

 キリストに似るとは、「頑張ってキリストのような立ち振る舞いや発言をすること」ですらありません!
2011年5月10日
 
弟子のビジョン ―キリストに似た者―

 私たちに与えられているビジョンを見ていきましょう。

 けれどもその前に、一つ確認させてください。

 「私たち」とは誰でしょうか?

 「もちろんイエスを信じた人々のことでしょう?」とあなたは言うかもしれません。

 いいえ、違います。

 今から対象となるのは、ただイエスを信じただけの人々ではありません。
2011年5月 9日
 
 あなたの人生は偶然ではありません。

 あなたは使命も目的もなく放浪するためにいるのではありません。

 あなたが今地上にいることには、確かな意味と価値があります。

 あなた自身がまだ気付いていない、あなたの存在理由があるのです。

 聖書は、私たちの人生が神の壮大な計画と密接につながっていることを教えています。

 あなたの人生計画ではなく、神の神生計画です。

 あなたの人生設計ではなく、神の神生設計です。
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