まとめ
「神を安息させる」とは、一見すると不思議で理解し難いコンセプトかもしれません。
この連載を読む前までは、このコンセプトに納得いかない読者も多かったでしょう。
けれども今、こうして神への安息のミニストリーをすべて網羅してみると、それがとても聖書的で、神の御心に沿ったものであることが分かります。
ここで、改めてポイントを振り返ってみましょう。
神を安息させるためのミニストリーのキーワードは、
①神の家
②約束の地
③安息日
④なだめのかおり
でした。
新約時代のいけにえ
あなたが肉の思いを十字架につけて死ぬとき、あなたはキリストの香りを放ちます。
しかしもう一つ、あなたがなだめの香りを神に放つ方法があります。
それはあなたの内なる態度だけではなく、実際の行動でもいけにえを捧げていくことです。
新約聖書は現代の私たちが捧げる「いけにえ」について教えています。
もちろん、罪の赦しのためのいけにえはすでに十字架のイエスで完了しています(ヘブル10・14-18)。
しかしそれとは別に、礼拝者として日々成長し、神との交わりを深め、キリストに似た者として成熟していくため、私たちはいけにえを捧げる必要があるのです。
いけにえ無しの礼拝などありえません。
神を安息させるなだめの香りは、いけにえがもたらす香りです。
「キリストの香り」(キリストを知る知識の香り)は、あなたが伸び伸びと大活躍するときに起こるのではありません。
ダイナミックメッセージや奇跡の業やファインプレーが炸裂するときの爆風ではありません。
そうではなく、むしろ圧迫や誘惑や試練の中で静まるとき、すなわちあなたが「自分」というものに対して死に切ったときに醸し出すものです。
あなたの周囲でこの香りを嗅ぐ人々は、二種類の反応を示すでしょう。
そこに「死」を感じる人と、「命」を感じる人です。
キリストの香りを放つ
イエスは十字架で、もっとも素晴らしい香りを放ちました。
しかしそれで終わりではありません。
じつは今の私たちにも、神を安息させるためのなだめの香りを放つミニストリーがあります。
御言葉を見てみましょう。
しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。
私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。
ある人たちにとっては、死から出て死に至らせるかおりであり、ある人たちにとっては、いのちから出ていのちに至らせるかおりです。このような務めにふさわしい者は、いったいだれでしょう。
(Ⅱコリント2・14-16)
究極のかおり
旧約時代のいけにえは人間たちの罪を「覆う」だけで、「とりのぞく」ことはできなかったので、神はついに究極の「なだめのかおり」となるいけにえを用意しました。
それは自分の子であるイエス・キリスト自身です。
イエスは私たちが神と和解して救いを受けるため、十字架につきました。
一切の罪のない、完全で究極のいけにえです。
これは神への「香ばしいかおり」となりました。
また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。
(エペソ5・2)
キリストの命が十字架で捧げられたとき、神はついに天地創造以来の救いの計画を完了し、ご自分の力を休め、安息に至りました。
なだめのかおり
神に安息を与えるためのミニストリーの3番目は、神のための安息日を用意することでした。
それは①将来訪れる千年王国で完全に現れますが、②同時に、私たちの日々の個人的な悔い改めによっても段階的に現れるものでした。
では、いよいよ最後、4番目のポイントを見ていきましょう。
神に安息を与える4番目のキーワードは、「なだめの香り」です。
なだめの香り、とは何でしょうか?
それは、私たちが神に動物などのいけにえを捧げるとき、天の御座に立ち上る、甘い香りです。
旧約時代、神へいけにえを捧げると、神はその香りをかいで、安息しました。
ヨシュアの軍勢が割礼を受けたのは、約束の地に入った直後です。
いわば、これから占領すべき敵地に入った直後です。
割礼を受けると、その後しばらくの日数、傷口は痛み、満足に動くことができません。
嫌でもしばらくは静かにしている必要があります。
民のすべてが割礼を完了したとき、彼らは傷が直るまで、宿営の自分たちのところにとどまった。(ヨシュア5・8)
敵地で、いつ攻撃されるか分からない緊迫の中で、彼らは静まったのです。
傷口が癒える前に攻撃を受けたらひとたまりもありません(創世記34・24-25)。
心の割礼
「悔い改め」の概念を深く悟るには、割礼(かつれい)について知らなくてはなりません。
旧約聖書のヨシュア記を読むと、ヨシュアの軍勢は、ヨルダン川を越えて約束の地に入ったあと、神の命令によって、すぐに割礼を受けさせられました。
そのとき、主はヨシュアに仰せられた。「火打石の小刀を作り、もう一度イスラエル人に割礼をせよ。」そこで、ヨシュアは自分で火打石の小刀を作り、ギブアテ・ハアラロテで、イスラエル人に割礼を施した。(ヨシュア5・2-3)
旧約の時代、イスラエル民族の男子たちが神の選びの民として、神との契約の象徴として受けたのが割礼です(創世記17・10-11)。
ヨシュアの軍勢の多くは、まだ割礼を受けていなかったので、主は改めて命じたのです。