父の段階まで成熟した人物として、聖書で登場する代表例は、使徒パウロでしょう。
あるときパウロは、分裂問題で内紛中のコリントの教会(Ⅰコリント1・12)に対して、手紙で指導しました。
パウロはこう言っています。
私がこう書くのは、あなたがたをはずかしめるためではなく、愛する私の子どもとして、さとすためです。
たといあなたがたに、キリストにある養育係が一万人あろうとも、父は多くあるはずがありません。この私が福音によって、キリスト・イエスにあって、あなたがたを生んだのです。
ですから、私はあなたがたに勧めます。どうか、私にならう者となってください。
(Ⅰコリント4・14-16)
パウロは「あなたたちの成長を助ける人が何人いようと、父の立場にあるのは私だ!」と強権発動(?)です。
ここまでパウロは言えるのは、コリントの教会がそもそもパウロが一から開拓した教会であり、そこにいる人々と充分な信頼関係があったからでしょう。
パウロはさらに究極の宣言をします。
私がキリストを見ならっているように、あなたがたも私を見ならってください。(Ⅰコリント11・1)
「私を見ないで、イエスだけを見て下さい」などという言い回しはせず、なんと「私を見て真似しなさい」です。
なんという自信でしょう!
これを言えるのは、よほど素晴らしい人か、よほど身の程知らずの愚か者か、どちらかです。
もちろんパウロは前者です。
神は、私たちにもパウロ同様の宣言ができる者になってほしいのです。
しかし、ある意味でこれは、当然のことかもしれません。
なぜなら霊的な父が生み出す霊的な子たちは、否応なしに、父に似るからです。
人は、自分のコピーを生みます。
ですから、あなたが人々をより深くキリストに導くためには、あなたとキリストとの関係がより深く変わり続けなければいけません。
人を扱う前に自分が扱われるのです。
その原動力が、神の国を知ることです。
神の国の奥義を、本やネット上の知識としてではなく、命に溢れた啓示として受け取るとき、あなた自身の命はさらに豊かさになり、新しい弟子たちへも受け継がれていくでしょう。
そうしてあなたが養い育てた「実」こそ、あなたが何者であるかをもっとも明らかにします(マタイ7・20)。
だが、知恵の正しいことは、そのすべての子どもたちが証明します。(ルカ7・35)
あれだけ大胆に父であることを宣言したパウロも、そのことがよく分かっていました。
私たち(パウロたち)の推薦状はあなたがた(コリントの教会)です。それは私たちの心にしるされていて、すべての人に知られ、また読まれているのです。(Ⅱコリント3・2)
男性にとって最高の使命とは、霊的な父となることです。
女性にとって最高の使命とは、霊的な母となることです。
そして、あなたが何者であるかを決めるのは、その霊的な子どもたちです。