「男としての尊厳(男らしさ)が十分に発揮されていない」という危機感(不安)を抱えている男性は、自分を安心させるため、不健全なかたちで無理に男らしさを発揮しようとしがちです。
極端になるとギャンブルや、ギャンブル性の高い仕事など、一発逆転的なものに走りやすくなります。
不自然な大胆さや、不必要な自己アピールが多くなります。
「知り合いがサウジアラビアの油田で...」とか「NASAで開発された新技術が...」など、身の丈に合わない大きな仕事の話ばかりする人がいます。
有名な野球選手と知り合いだと言ったり、どこかの会社の社長が自分を偉く気に入っているとか、そんな話ばかりする人がいます。
結婚すると、妻はそんな話にずっとつき合わされます。
また、このような夫は、自分の強さや支配力を確かめるため、子供への暴力や威圧的な態度、妻への暴力や強引なセックスなどがともなうことがあります。
これは力を認めさせたいというよりも、夫自身が「自分はパワー(権力)がある」と感じて一時的な安心感を得たいからです。
アダルトサイトなど「何か自分の思い通りになるもの(それが妄想であっても)」へと逃避しがちなのも特徴です。
社会で活躍できる場合は、これらの症状に陥らずに済む場合もあります。
しかし社会的に十分な地位や立場があり、周囲から尊敬されていても、潜在的な自尊心不安を抱えている男性もいます。
「活躍の場を作る」は根本的な問題解決でありません。
問題の根は、何が本当の「男らしさ」なのかが分からないことです。
いったい誰をモデルにすれば、何を目指せば、自分の男らしさに満足し、健全にそれを昇華できるのか、その道が分からないのです。
「男らしくなりたい、けれど何が男らしさなのか分からない」
それがすべての男性の潜在的な苦しみです!
男らしさは、どこで学べばよいのでしょうか?
もちろん聖書からです。
聖書は「たくましさ」「雄々しさ」など、男らしさについても教えています(ヨシュア1・9、Ⅰ歴代誌22・13、Ⅰコリント16・13)。
聖書の語る真の男らしさとは、自分の心を制する強さに満ち、戦うべきときは戦い、静まるべきときには静まり、罪がなく、高潔な態度を持って神に仕える者の姿です。
ですから、私は願うのです。男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。(Ⅰテモテ2・8)
これは決して弱々しい草食系男子ではなく、神から与えられた男性の役割に誇りを持っている状態です。
真の男らしさは、収入や地位や職種で左右されません。
そのような一時的な要素ではなく、神との交わりによって自分の尊厳を堅く信じているからです。
つまり、真の男らしさとは、神とのつながりの強さから生まれるのです。
では、そんな男らしさを実践した具体的なモデルは?
イエス・キリストです。
イエスほど男らしい人物は他にいません。
イエスの男らしさの源は、父なる神との深い絆でした。
わたし(イエス・キリスト)と父(神)とは一つです。(ヨハネ10・30)
私たちもまた、イエス・キリストから学び、イエスと似た性質・人格・影響力を身に着けていくなら、イエスを通して父なる神と深い絆を持てるようになるのです。
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネ14・6)
人生で最大の感激は、イエスの十字架によって、父なる神とつながることです。
全宇宙で最も偉大な最高の神に養子縁組されるのです。
その確信に立つ男性は、真の男らしさを養っていくでしょう。