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HomeTop Page  Homeいい男の見分け方⑧
2011年1月26日
 
その7 健全な男らしさが発揮されているか?

 いい男を見分けるための、7つめのポイントを学びましょう。

 それは、「健全な意味で、男らしさを発揮しているか?」です。

 じつは、多くの男性は、自分の「男らしさ」について不安を隠し持っています。
 
 潜在的な自尊心不安とも言えます。

 どうすれば自分の男らしさが満たされるのか、どうすれば周囲から自分が男として立派な者と思われるのか、それが分からず苦しむのです。

 道場に通ったり、ライブハウスでデビューしたり、車で夜の首都高を飛ばしたり、いろいろなことを試します。

 何かパワーのある者として認められたい、自分も自分を認めたい、という焦りや恐れに突き動かされ、終わりなき自己努力の世界に入って行きます。

 「男としての尊厳(男らしさ)が十分に発揮されていない」という危機感(不安)を抱えている男性は、自分を安心させるため、不健全なかたちで無理に男らしさを発揮しようとしがちです。

 極端になるとギャンブルや、ギャンブル性の高い仕事など、一発逆転的なものに走りやすくなります。

 不自然な大胆さや、不必要な自己アピールが多くなります。

 「知り合いがサウジアラビアの油田で...」とか「NASAで開発された新技術が...」など、身の丈に合わない大きな仕事の話ばかりする人がいます。

 有名な野球選手と知り合いだと言ったり、どこかの会社の社長が自分を偉く気に入っているとか、そんな話ばかりする人がいます。

 結婚すると、妻はそんな話にずっとつき合わされます。

 また、このような夫は、自分の強さや支配力を確かめるため、子供への暴力や威圧的な態度、妻への暴力や強引なセックスなどがともなうことがあります。

 これは力を認めさせたいというよりも、夫自身が「自分はパワー(権力)がある」と感じて一時的な安心感を得たいからです。

 アダルトサイトなど「何か自分の思い通りになるもの(それが妄想であっても)」へと逃避しがちなのも特徴です。

 社会で活躍できる場合は、これらの症状に陥らずに済む場合もあります。

 しかし社会的に十分な地位や立場があり、周囲から尊敬されていても、潜在的な自尊心不安を抱えている男性もいます。

  「活躍の場を作る」は根本的な問題解決でありません。

 問題の根は、何が本当の「男らしさ」なのかが分からないことです。

 いったい誰をモデルにすれば、何を目指せば、自分の男らしさに満足し、健全にそれを昇華できるのか、その道が分からないのです。

 「男らしくなりたい、けれど何が男らしさなのか分からない」

 それがすべての男性の潜在的な苦しみです!

 男らしさは、どこで学べばよいのでしょうか?

 もちろん聖書からです。

 聖書は「たくましさ」「雄々しさ」など、男らしさについても教えています(ヨシュア1・9、Ⅰ歴代誌22・13、Ⅰコリント16・13)。

 聖書の語る真の男らしさとは、自分の心を制する強さに満ち、戦うべきときは戦い、静まるべきときには静まり、罪がなく、高潔な態度を持って神に仕える者の姿です。

 ですから、私は願うのです。男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。(Ⅰテモテ2・8)

 これは決して弱々しい草食系男子ではなく、神から与えられた男性の役割に誇りを持っている状態です。
 
 真の男らしさは、収入や地位や職種で左右されません。

 そのような一時的な要素ではなく、神との交わりによって自分の尊厳を堅く信じているからです。

 つまり、真の男らしさとは、神とのつながりの強さから生まれるのです。

 では、そんな男らしさを実践した具体的なモデルは?

 イエス・キリストです。

 イエスほど男らしい人物は他にいません。

 イエスの男らしさの源は、父なる神との深い絆でした。

 わたし(イエス・キリスト)と父(神)とは一つです。(ヨハネ10・30)

 私たちもまた、イエス・キリストから学び、イエスと似た性質・人格・影響力を身に着けていくなら、イエスを通して父なる神と深い絆を持てるようになるのです。

 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネ14・6)

 人生で最大の感激は、イエスの十字架によって、父なる神とつながることです。

 全宇宙で最も偉大な最高の神に養子縁組されるのです。

 その確信に立つ男性は、真の男らしさを養っていくでしょう。

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