聖霊と過ごす
あなたの油注ぎがよりよく発揮されることを願うなら、聖霊ご自身と共に過ごす時間を持ってください。
これは、聖霊ご自身の人格(神格)に触れる時間です。
私たちは油注ぎを求めるときに、「聖霊の力」を求めがちですが、それ以上に重要なのは、「聖霊ご自身」との出会いを求めることです。
聖霊はただのエネルギーやパワーではなく、知性(Ⅰコリント2・11)も意志(Ⅰコリント12・11)も感情(エペソ4・30)も持っている方です。
そして、聖霊はパワフルでありながら、とても穏やかで繊細でデリケートな方です。
たとえば、私たちが悪意ある行動を取ると聖霊は、怒るよりも悲しみます。
神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。(エペソ4・30)
聖霊と共に過ごすためには、丁寧に迎える必要があります。
日常生活の慌しさから離れ、特別な時間と空間を用意して、主の臨在の中にある安息に身を浸しましょう。
あなたの霊・魂・体をただ聖霊との交わりに向けて、聖霊があなたの内側に語りかける微かな声を聞いて下さい。
イエスも、しばしば寂しい所で一人で過ごしました(マルコ1・35)。
油注ぎや聖霊の働きを強調し、奇跡やしるしを行うリーダーたちは、ほぼ例外なくこのような聖霊との交わりの時間を持っています。
中南米のある国でリバイバルを導くある牧師は、いつも部屋にこもり、自分の座る椅子の向かいに聖霊を迎える椅子を置いて、そこで何時間も過ごします。
もちろん、聖霊は人間のかたちで降臨するわけではないので、その椅子に物理的に座るわけではありませんが、聖霊を「お迎えする」という意識の現われです。
この牧師の妻は、「夫が部屋で聖霊と交わり始めたら、たとえ大統領が訪れても部屋から出てきません」と語っています。
これは「祈り」だけに限りません。
ときには何も語らず、ただ静かに聖霊の臨在を感じ取り、自分の霊の感度を引き上げていくような瞑想です。
これは、ニューエイジのトランス状態とは違い、聖霊の人格(神格)を尊重し、お迎えし、親しく交わることです。
このような時間を通じて、私たちは聖霊の導きや促しを敏感に悟れるようになります。
人それぞれ置かれている現場が違うので、一概にどれくらい時間が必要かは分かりません。
ビジネスの現場で活躍する人は2時間も3時間もじっと瞑想しているわけにはいきません。
けれども、誰であれ、短い時間であれ、聖別された時間と空間は必須です。
聖書の時代、人々はリラックスして瞑想や物思いにふけるため、いちじくの木の下で過ごしました。
彼らはみな、おのおの自分のぶどうの木の下や、
いちじくの木の下にすわり、
彼らを脅かす者はいない。
まことに、万軍の主の御口が告げられる。
(ミカ4・4)
根元に座ると、地面まで垂れ下がる枝と大きな葉に覆われ、静かな空間ができるからです。
私たちも、このような場が必要です。
あなたにとって、「いちじくの木」はどこにありますか?
あなたがいちじくの木の下で静かに過ごすとき、主はあなたを見ています。
ナタナエルはイエスに言った。「どうして私をご存じなのですか。」イエスは言われた。「わたしは、ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見たのです。」(ヨハネ1・48)