神が求める礼拝者
神は、あなたが真の礼拝者となることを願っています。
神の御心にかなう礼拝者となることは、私たちにとって最高の使命です。
イエスは、福音書の中で次のように語っています。
しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。(ヨハネ4・23)
神が望むのは、「霊」と「まこと(真理)」の両方を備えた礼拝者です。
霊は不可欠です。
神は霊なので、私たちもまずキリストの命を得て内なる霊を回復し、霊で神とつながり、導かれる必要があります。
そして聖霊がもたらす喜びと解放を持って礼拝することが大切です。
神の霊は無限で自由自在で(ヨハネ3・34)、型におしこまれることはありません。
礼拝は、神との個人的な関係を築く
「礼拝」という言葉は、ときに宗教的・儀式的なイメージを持たれがちです。
たしかに形式だけの礼拝になってしまうこともあります。
しかし聖書が教える本来の礼拝とは、命に満ち溢れた、神との個人的な交わりです。
礼拝は、神への純粋な信頼の表現です(詩篇143・8)。
あなたが礼拝するとき、あなたは自分にとって神が何者であるかを明確にしています。
神を礼拝しない者は、神との個人的な関係を築いているとは、言えません。
礼拝とは?
賛美について一通り聖書から学びましたが、続いて、「礼拝」について知っていきたいと思います。
礼拝とは、簡単にいえば、神を神として認めることです。
礼拝という言葉は、旧約聖書の原語(ヘブル語)では「敬意を示してひれ伏す」、新約聖書の原語(ギリシャ語)では「価値あるものとみなす」という意味があります。
相手の主権に従うこと、信仰の対象であることを表明すること、それが礼拝です。
ここで、賛美と礼拝の違いについて述べておきましょう。
賛美は、礼拝のスタイルの一種類です。
しかし礼拝自体は、賛美だけでなく、生活態度全般を含む、もっと広い言葉です。
六本木オープンサービス(賛美と礼拝)は、毎月2回、隔週の日曜に開催されています。
賛美は誰がする?
賛美は誰がするべきでしょうか?
賛美をするのは誰の役目でしょうか?
すべての人の役目です。
息のあるものはみな、
主をほめたたえよ。
ハレルヤ。
(詩篇150・6)
特定の誰かだけが賛美するわけではありません。
あなたもまた、賛美する使命があるのです。
ただし、賛美をつかさどる専門のリーダーや、特定の楽器を奏でる奏者は、すべての人というわけではありません。
召し(神が与える使命)と賜物(神が与える才能)によります。
◆楽器
旧約聖書の「詩篇」は、当時歌われていた賛美を集めた歌集です。
詩篇の中には、さまざまな楽器が登場します。
角笛を吹き鳴らして、 神をほめたたえよ。
十弦の琴と立琴をかなでて、神をほめたたえよ。
タンバリンと踊りをもって、神をほめたたえよ。
緒琴と笛とで、神をほめたたえよ。
音の高いシンバルで、神をほめたたえよ。
鳴り響くシンバルで、神をほめたたえよ。
(詩篇150・3-5)
ダビデは自らも楽器を考案して、賛美の部隊に持たせました(Ⅰ歴代誌23・5、アモス6・5)。
ある国や地域や民族で、聖霊が激しく働き、イエス・キリストの福音が爆発的に伝わるとき、そこには常に新しい賛美の歌があります。
そして、彼らの使っていた民族楽器(たいてい、それまでは偶像崇拝に使われていたもの)が、真の神を賛美する道具として奪回されて用いられるようになります。
◆創造性
賛美するとき、歌詞の決まった歌を歌う以外にも、聖書の御言葉を朗読したり、聖霊に導かれた即興の歌(霊の歌)を交えたり、預言や異言を語ったりするときもあります。
ここでは一つひとつについて詳しく説明はしませんが、これらのコンビネーションを通して、神の命がさらに豊かに溢れ流れる賛美になります。
ではどうすればよいのでしょう。私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。(Ⅰコリント14・15)
詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。(エペソ5・19)
賛美は奥が深く、クリエイティブなものです。
そして同時に、すぐに形骸化しやすいものです。
教会で豊かな命(神が与える霊的な命)が見られなくなり、かたちだけの伝統と化していくときは、たいてい賛美もマンネリ化しています。
神に喜ばれる賛美
あなたが主を賛美するなら、ぜひ優れた賛美の方法を覚えて下さい。
神を喜ばせ、神の心を揺さぶるような優れた賛美には、特徴があります。
聖書は、そのための具体的なポイントを、教えています。
ここで、その代表的なものを紹介しましょう。
◆砕かれた心
神へのいけにえは、砕かれた霊。
砕かれた、悔いた心。
神よ。あなたは、それをさげすまれません。
(詩篇51・17)
「砕かれた、悔いた心」とは、「頑固で高ぶった心」の反対の状態です。
もっとも大切なのは、神を素直に求める気持ちです。
実話です。
ピアノを習い始めたばかりの小さな男の子がいました。
ピアノを弾くのが楽しくてしかたがない、という子です。
ある日、両親が有名なピアニストのコンサートに彼を連れて行きました。
開演前、両親がふと気が付くと、男の子が座席にいません。
男の子は、ステージ上のピアノを見たとたん、嬉しくなって勝手に上っていたのです。
そして観衆の見ている前で、つたない「きらきら星」を弾き始めてしまったのです!
親は慌てました。
しかも、そのとき、
舞台の袖から、本物のピアニストが現れました!
男の子は演奏に夢中で気が付きません。
すると、このピアニストは、
賛美の力
賛美の達人ダビデは詩篇の中でこう歌いました。
けれども、あなた(神)は聖であられ、
イスラエルの賛美を住まいとしておられます。
(詩篇22・3)
私たちの賛美の歌声の中に、聖なる神は現れます。
主の力が注がれ、主の臨在に満たされる、それが賛美です。
賛美は、特定のリズムやメロディーや楽器で決まるわけではありません。
時代や文化の中で、さまざまなスタイルがあります。
大切なのは、その賛美を通して主と出会うことです。
賛美とは?
「賛美」と「礼拝」は、どちらも似たようなものに思われがちですが、それぞれに意味が違います。
まず、賛美について知りましょう。
賛美は弟子たちのライフスタイルの大事な一つです。
聖書に登場する最初の教会(エルサレムの教会)では、イエスを信じた者たちがいつも神を賛美していました。
そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。(使徒2・46-47)
旧約聖書の時代にも、いつもイスラエルの民は神へ賛美をささげました。
ハレルヤ。
主に新しい歌を歌え。
聖徒の集まりで主への賛美を。
(詩篇149・1)
天国という言葉に、あなたはどんなイメージを持ちますか?
どんなときに天国を感じ、どんなときに天国を味わいますか?
ある人は、温泉に入ったり、旬の刺身の盛り合わせを食べたりすると、「ここはまさに天国だね」と言います。
ある人は、優勝や受賞の喜びを「天にも昇る気分」と言います。
しかし、まだ天国ではありません。
それらはただ、天の父なる神が、あなたを恵み、地上での喜びや楽しみを与えているだけです。
それはそれで嬉しいものですが、天国とは、それらを遥かにしのぎ、素晴らしい場です。
天のもっとも高い領域には、神の御座があり、その周囲では天にいる勝利者たちや、天の霊的生き物たちが神に仕えています(黙示録4章)。
天の風景や様子については、聖書にさまざまな描写がありますが、その麗しさ、喜び、愛は、地上の私たちのイメージを超えているので、今はまだごく一部しか悟れません。
しかし、それでもなお、確かなことがあります。
それは、「天の御座は、圧倒的な、主の臨在(りんざい)で満ちている」ということです。