花嫁である教会は、神の恵みを正しく管理して用いる
最初の結婚では、アダムはエバを自分の体として愛し、養いました。
では、最後の結婚について、聖書は何を教えているでしょうか?
また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。(エペソ1・22-23)
キリストは「頭」で、教会はその「体」です。
キリストは自分自身である教会を満たします。
最初の結婚と同じ、夫婦の原則です。
だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。(エペソ5・29)
どれほどイエスが教会を「自分自身」として養っているか分かりますか?
イエスは知恵も富も御国も、すべてを教会に与えてくれます。
いや、それ以上に、文字通り自分自身の肉と血を分け与えています(ルカ22・19-20)。
教会の大事な務めの一つは、イエスの体と血であるパンと杯を食べることです(Ⅰコリント10・16)。
これは、主とともに食卓につき、主の豊かさを受け取る場です。
これは、教会だけに与えられた特権です。
教会が「キリストの体」と言われるのは比ゆ表現ではありません。
あなたはキリストの肉と血によって、まさしくイエスの自身の一部とされているのです(ヨハネ6・53-58)。
では一方、教会にはどんな義務があるのでしょうか?
教会は、キリストから与えられた恵みに感謝して、正しく管理して用いる責任があります。
それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。(Ⅰペテロ4・10)
主があなたに願っていることの一つは、あなたが良い管理人となることです。
回復されて豊かになっていく命、与えられている賜物、委ねられている魂(人々)、示されたビジョン、備えられた環境...教会には主から託されているものが多くあります。
それらを上手に用いて活かして、実を結んでいくことを主は願っています。
どの地域教会も、主から与えられている恵みを正しく組み合わせ、最大限に効果的に用いれば、結ぶべき実を結ぶことができます。
「ピアニストがいないから賛美が弱い」
「ユースリーダーがいないから子供が育たない」
「広い礼拝堂がないから伝道できない」
そうでしょうか?
それらを求めて祈るのも良いことですが、同時に、キリストがすでに与えてくれた恵みを総点検してみましょう。
もしすべてを正しく用いたら、何か実を結べるはずです。
そのように教会はデザインされているのです(もしそれが本当に教会ならば、ですが)。
そして、与えられている恵みを用いる際は、最初の結婚と同じく、夫とともに喜びましょう。
イエスが語った有名な「タラントのたとえ」は、王であるイエスと、教会(弟子たち)との関係を表しています。
「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ 」(マタイ25・21)
主人の喜びをともに喜ぶのです。
ですから、いつも主に喜びの声を上げましょう。
恵みに応えて、感謝を捧げましょう。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
(詩篇103・2)
花嫁は黙り込まないで、花婿にフィードバックをして下さい。
感謝、賛美、願い事、悔い改めなど、常に主に祈り、告白して下さい。