キリストにつく者
こうして、肉を十字架につけ、御霊によって歩む人を、聖書では、キリストにつく者(キリストに属する者)と呼んでいます。
キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。(ガラテヤ5・24)
キリストにつく者は、言い換えれば、霊の国に属する魂、です。
一つひとつの肉の思いを神の前に告白し、悔い改め、十字架につけて処分すると、その領域は死んで、葬られて、そして霊に統治されて復活します。
オセロのように、魂の中で肉が治めていた部分が、霊の治める部分へと転じていくのです。
これは、その人の中に住むキリストが活躍しているからです。
これを体験すると、あなたは「私の中に住むキリスト」をリアルに感じるようになります。
一度、神によって勝ち取られた領域には、肉は(あなたが許可しない限り)進入することはできません。
魂の中に神の築いた城壁が立ち、肉の思いを跳ね返します。
パウロは、この状態を、究極の表現で語っています。
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉(肉体)にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。(ガラテヤ2・20)
あなたは勝利者となるための信仰の山を登っている途上です。
しかし、この「ガラテヤ2・20合目」までくると、もう山のふもとから襲ってくる世の誘いに惑わされません。
低俗な悪霊たちの放つ矢も届きません(ただし、まだまだ山は続きます。新たな種類の攻撃が来るので、気を抜いてはいけません)。
キリストの十字架を通って復活体験をする者は、その命の無限の豊かさを味わうことができます。
古い自分が握っていたものを手放し、神に自分の心を明け渡したとき、あなたは豊かな実を結ぶのです。
まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。(ヨハネ12・24)
これが神の国の原則です。
神によって死と葬りを通った領域だけが、神によって復活して、永遠に残る実を結ぶのです。