5つのミニストリーの目的
5つのミニストリーは、「五職」「五重の務め」など、さまざまな通称があります。
ここでは、通称の一つである「五役者」(ごえきしゃ)という言葉を使っていきます。
五役者は、キリストから教会への賜物(ギフト)です。
賜物とは、神からの一方的な恵みです。
努力や情熱で与えられるものではなく、何かの報いとしてもらうものでもありません。
そして賜物にはその使用目的があります。
時代や場所によって五つのミニストリーの形はさまざまですが、ゴールは明確です。
それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。(エペソ4・12-13)
これが五役者の務めのすべてです。
こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。(エペソ4・11)
聖書によれば、キリストは神の国のチームを共に建て上げるために五種類の務め(使徒、預言者、伝道者、牧師、教師)を用意しています。
これはパワフルで重要な教えですが、同時に大変デリケートです。
この教えはさまざまな時代や場所で、主の栄光の教会を建て上げる起爆剤となってきた一方で、さまざまな混乱や誤解を起こすこともありました。
神が与えるものはすべて良いものですが、それらを私たちが正しく受け止め、消化し、実践し、実を結ぶには、御言葉による健全な教えと、聖霊の導きが伴う神のタイミング、そしてそれを実現できる整えられた器(人物)が必要です。
この学びを通して、健全な教えを受け取り、神の意図するチームワークを知って下さい。
まず初めに、5つのミニストリー(務め)の全体像を、エペソ4章から見てみましょう。
まとめ
最後に、霊 vs 肉の戦いの構図を、もう一度おさらいしましょう。
・人の体には、サタンの種(罪の性質)が住んでいます
・罪の性質は、人に肉の思いを抱かせ、罪を犯させ、死に導きます
・人は、この「罪と死の法則」に支配された罪の奴隷となっています
・十字架を信じたとき、罪の奴隷であった古いあなたは死にました
・そして神の種(義の性質)が霊に宿り、新しいあなたとなって復活しました
・自由になったあなたは、霊を選び、肉に勝利できます
とはいえ、サタンの種(罪の性質)は、まだ体の中に潜んだままです。
この種は芽を伸ばそうと常に機会をうかがっています。
大切なのは、日々自分の心をチェックして、サタンの種の発芽部分を刈り取って捨て去ることです。
これが日々の罪の告白・悔い改めです。
肉体を支配する
キリストにつく者たちの多くは、魂が霊に支配され、喜びに満ちることで満足します。
もちろん間違いではありません。
しかし、神はあなたがもう一段階ギアを上げることを願っています。
霊に支配された魂が、今度は、体をも統治するのです。
もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。(ローマ8・11)
この「死ぬべきからだ」とは、栄化される前の、老いていく体のことです。
御言葉によれば、神は霊によって、この死ぬべきからだも「生かしてくださる=命を与えてくれる」のです。
キリストにつく者
こうして、肉を十字架につけ、御霊によって歩む人を、聖書では、キリストにつく者(キリストに属する者)と呼んでいます。
キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。(ガラテヤ5・24)
キリストにつく者は、言い換えれば、霊の国に属する魂、です。
一つひとつの肉の思いを神の前に告白し、悔い改め、十字架につけて処分すると、その領域は死んで、葬られて、そして霊に統治されて復活します。
オセロのように、魂の中で肉が治めていた部分が、霊の治める部分へと転じていくのです。
これは、その人の中に住むキリストが活躍しているからです。
これを体験すると、あなたは「私の中に住むキリスト」をリアルに感じるようになります。
日々、新しくされていく
さて、十字架によって解放されたあなたですが、ここからは、もう一つ、大事なことがあります。
それは、日々、正しい選択をすることです。
自由とは、選択権を得た、という意味です。ここからは、霊と肉、どちらを選択するかはあなた次第です。
たとえば、民主主義の国では、人々に選挙権があります。
これは強制的に特定の候補者に投票する義務ではありません(それは独裁国家です)。
そうではなく、誰に投票しても良く、投票しなくても良い、それが権利です。それが自由です。
同じように、あなたは無理やり強制的に霊を選ばされるのではなく、あくまで自由意志で選択できるのです。
創造主である神は私たちを愛しているので、命令通りに強制的に動くロボットにはしません。
むしろ本当の自由を与え、その自由の中で私たちが主体的に神の御心を選ぶようにと願っているのです。
神にとっても、それが喜びなのです。
神の種
復活したあなたは今、霊の中にイエスの命が宿っています。
これが「神の種」です。
義の性質です。
聖書によれば、この種は永遠に朽ちない種であり、この種によって私たちは新しく生まれた(復活した)のです(Ⅰペテロ1・23)。
活動休止中だった霊という大国に、王様であるイエスが戻って来ました。
肉に対抗する勢力、いや、肉に打ち勝つ勢力が、あなたの中に現れたのです。
神の国は、まず小さな種として、あなたの内側で始まりました。
最初はとても小さな種ですが、根をはり、成長し、非常の大きな木となります(マタイ13・31)。
その力を発揮するためには、信仰が必要です。
このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。(ローマ6・11)
古い人から、新しい人へ
十字架の福音について復習しましょう。
あなたがイエスを信じた瞬間、あなたは救われました。イエスがあなたの罪を背負って、身代わりとなって十字架で死んでくれたからです。あなたの霊には今、キリストの命が宿っています。
これが十字架の福音です。
しかし福音には、もう一段、奥の深い真理、いわば、裏面があります。
じつは、あなたもイエスと共に十字架で死んだのです(ローマ6・3-4)。
あなたがイエスを信じて救われたとき、あなたはじつは霊的にキリストの中に組み込まれ、その一部となりました。キリストにつぎ合わされたのです。
イエスを信じた者は、「私の中にキリストが宿っている」と同時に、じつは「キリストの中に私がいる」とも言えるのです。
この二つは矛盾しません。たとえば、角砂糖の中にコーヒーが染みこむためには、角砂糖そのものをコーヒーの中に浸します。
同じように、あなたの中にキリストの命が宿ったのは、あなた自身がキリストの中に入ったからです。
法則からの解放
罪は合法的にあなたを支配しているので、あなたから離れてくれません。
「罪と死の法則」が作用しているので、私たちは死ぬまでこの法則からは解放されません。
しかし、一つだけ解決方法があります。
努力でしょうか? 根性でしょうか? 修行でしょうか?
違います。
罪の支配下にある、あなた自身が死ぬことです。
死んでしまった者は、罪から解放されているのです。(ローマ6・7)
神は、正義で真実な神なので、罪の問題や、その法則を無理やり覆したり、曖昧にしたまま私たちを救うことはしません。
神は合法的に、神の摂理に従ってこの問題を扱いました。
それは、人間の知恵では到底考えられない方法ですが、法則を「放棄」するのではなく、「成就」させることで終結させてしまう、という方法です(マタイ5・17)。
「死ぬまで解放されないなら、死んでしまえばいい」わけです。
法則を知る
霊を失った魂は、肉からの勢力に対抗することができません。罪の力に逆らうことができません。
なぜなら、アダムの失敗以来、「罪を犯したら罪に支配されて死に至る」という法則が働いているからです。
これは「罪の法則」(ローマ7・23)や「罪と死の法則」(ローマ8・2)と呼ばれます。
ビルの屋上から卵を離すと、地面に落ちて最後は割れます。これは、万有引力の法則です。
同じように、罪の性質に肉が刺激され、誘惑が起こり、罪を犯し、死に至る、というのが、罪と死の法則です。
これは、あなたの努力や情熱で解決できる種類のものではありません。
もしかしたら、一時的に頑張って抵抗したり、方向を変えたり、進行を遅らせることはできるかもしれません。
しかし気を緩めれば、すぐに肉の勢力が攻め込み、戻ってしまいます。
これは飛行機の自動操縦プログラムのようなものです。
行き先を「ニューヨーク」と入力して設定したら、必ずその方向に向かいます。
一時的に操縦かんを「リオ・デ・ジャネイロ」に向けてみても、手を離したら元の方向に戻ってしまいます。
元のプログラム自体を書き換えない限り、この状況からは解放されません。
肉とは何か?
「罪の性質(サタンの種)」と「肉の思い」は、関連しているのでよく混同されやすいのですが、正確には別のものです。
簡単に言えば、罪の性質は「別人」ですが、肉の思いは、それに触発された「自分自身の一部」です。
聖書では「肉の思い、肉の願い、欲、肉」等の表現をしていますが、これはあなたの魂の中に発生しています(魂の一部が占領されて変容してしまった状態です)。
肉(体)という国に潜む罪の性質は、神から離れた世の意識を持たせようと、魂という小国を刺激して侵入をくわだてます。これを受け入れて染まってしまった魂の状態が「肉の思い」です。
つまり、「欲」とは、サタンではなく、(きっかけを作るのはサタンであったとしても)あなた自身の一部なのです。
エデンの園でも、最初にささやいたのは蛇ですが、それに耳を貸して欲を抱いたのはエバ自身でした。
人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。(ヤコブ1・14―15)
魂という名の戦場
霊と肉には、それぞれ神の種とサタンの種という、まったく正反対の性質が住んでいます。
では、魂は?
私たちの魂は、この戦いの戦場です。
私たちの魂は、霊と肉という2つの大国に挟まれた小国のようなものです。この二つの大国は、互いにこの小国を統治したいと願っています。
魂は、どちらかの性質に属するしかありません。
ときには霊にも肉にも属さず独立を保てるときが、ほんの一瞬はあるかもしれませんが、すぐに強大などちらかの国に攻められる宿命にあるのです。
魂は、永世中立国にはなれません。
なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。(ガラテヤ5・17)
サタンの種
もともと人間の体は、神が作った傑作です。
では、なぜその傑作に、罪の性質が宿っているのでしょうか。
これはアダムの罪に起源があります。
もともとアダムとエバが罪を犯す前、彼らの肉体には、罪の性質はありませんでした(ただし、純粋な意味での肉の特性はありました。霊によって正しく管理される限り、体を使って人生を楽しむのは良いことです)。
しかし、彼らは罪を犯した後、その結果のさまざまな悪影響を知ることになります。
その一つが、肉に罪の性質が宿ってしまうことです。
神はアダムとエバを騙した蛇に対して、言いました。
わたしは、おまえと女との間に、
また、おまえの子孫と女の子孫との間に、
敵意を置く。
彼は、おまえの頭を踏み砕き、
おまえは、彼のかかとにかみつく。(創世記3・15)
あなた中に住む、別の存在
私たちは霊・魂・体という3重の構造でできている存在です。
これを知ったうえで、私たちの人生での最大の戦いについて学んでいきましょう。
あなたにとって、最大の敵は誰だと思いますか?
病気や貧困でしょうか?
ビジネスの競合相手やスポーツの対戦相手でしょうか?
偽りや惑わしに満ちたこの世の価値観でしょうか?
サタンとその一味である悪霊たちでしょうか?
いいえ、どれも違います。
もっとも手強い敵は、じつはあなた自身の中にいるのです。
神に逆らい、自分の欲望のままに生きようと企み、あなたの人生を破滅させる恐るべき敵、それは、あなたの肉の中に潜む、「罪の性質」です。
これこそ、最大の戦いです。