花嫁なる教会(御国の相続)
やがてイエスが再び来るとき、 主と共に労苦してきた勝利者たちには、素晴らしい報いがあります。
私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。花嫁は、光輝く、きよい麻布の衣を着ることを許された。その麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。(黙示録19・7-8)
教会時代の勝利者たちは、千年王国が始まるとき、イエスのもっとも身近にいる者たちとして集められ、御国を受け継ぎ、主と共に治めます。彼らは花嫁なる教会と呼ばれる存在です。
地上で男女が結婚して一つとなるように、イエスと教会が完全に一つとなるのです。
神に仕え、人生を捧げる者たちには花嫁(の一部)としての地位と、相続財産という報いがあるのです。報い自体を目的として仕えるわけではありませんが、報いは希望を与えてくれます。
この方(キリスト)にあって私たちは御国を受け継ぐ者ともなりました。みこころによりご計画のままをみな行う方の目的に従って、私たちはあらかじめこのように定められていたのです。(エペソ1・11)
異邦人もイスラエル人も、共に一つとなって神の国を相続します。これらは族長時代や律法時代の預言者たちも知らなかった奥義で、教会時代になってから使徒と預言者を通して神が啓示したことです。(エペソ3・5-6)
イエスがもっとも大切にしているもの、もっとも価値ある被造物、それは花嫁なる教会です。王にとっては王国よりも王妃のほうが大切なのです(エステル5・3、ルカ12・32)。
今の私たちが神に仕える働きは、花嫁修業のようなものです。私たちは神に仕えて最高の永遠の報いを得るか、世に仕えて一時的なわずかな肉の快楽を得るか、どちらかを選ばなければいけません。中立はありえません、集めるか散らすか、です。
わたしの味方でない者はわたしに逆らう者であり、わたしとともに集めない者は散らす者です。(マタイ12・30)
天での報いは、内と外に結んだ「実」の量に比例します(ヨハネ15・16)。言い換えれば、魂の領域をどれだけイエスの性質に作り変えてもらうか、そしてどれだけ聖霊の導きに従って行動できるか、が評価基準です。
価値ある実を結ぶためには、常にキリストと結びついていなければなりません。
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです(ヨハネ15・5)。
そして、目に見える地上のものを用いて、目に見えない(関係の中で生み出される)ものを生みだしていかなくてはいけません。
私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです(Ⅱコリ4・18)。