間違ったイメージがもたらす悲劇
「神は私を憎んでいる」「失敗は許されない」「神は私に無関心だ」など、神に対する歪んだイメージは、あなたを祝福から遠ざけます。
旧約聖書で、神によってエジプトから解放されたイスラエル人は、直後に神が与えると約束した土地を偵察しますが、現地の強大な民族を見て恐れおののき征服をあきらめました。
彼らはつぶやきます。
「主は私たちを憎んでおられるので、私たちをエジプトの地から連れ出してエモリ人の手に渡し、私たちを根絶やしにしようとしておられる」(申命記1・27)
ひどい勘違いです。
しかし私たちもときに、神の性質を誤解するため、神が備えた収穫(祝福)の機会を遠ざけてしまいます。
新約聖書では、1タラントという大金を主人から託されたしもべが、地を掘ってその金を隠します。
彼は言います。
「ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました」(マタイ25・24)
興味深いことに、主人は、「蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集める」という洞察自体は否定も肯定もしません(マタイ25・26)。
それほどの超自然な能力すら主人にはあったのかもしれません。だとしたら、このしもべの分析はある程度は正確です。
しかしその分析をもとに、主人を「ひどい方」と評しています。
1タラント(6000デナリ=6000日分の賃金)もの大金を託してくれる寛大な主人の性質を、このしもべはわかっていませんでした。
私たちもときに、頭では神の力と権威を認めつつも、心では神の愛を悟らず、様々な能力を地に埋めてしまいます。
しもべは、こう考えるべきでした。
「ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めることすらできる全能の方です。あなたを信頼して、与えられたタラントを安心して積極的に使ってみます。たとえ失敗しても、あなたは何回でも私を助け、機会を与えてくれますから」
正しいイメージがもたらす祝福
神は良い方であって私を祝福してくれる、という確信は人生を勝利に導くための堅固な土台です。
族長時代は、まだ律法もなく十字架もなく主の再臨もありません。神の計画の全容を、族長たちはまだ知りません。だからこそ彼らは創造的御心を握り、「神は良い方だ」と信じる信仰こそが必要でした。
族長アブラハムは、神の声に従い、行き先もまだ分からないまま旅に出ました(創世記12章)。神の創造的御心を信頼していたからです。
その結果、彼は祝福され、大いに栄え、諸国民の父となりました。聖書では、アブラハムの信仰をこう書き表しています。
このことは、彼(アブラハム)が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前でそうなのです。(ローマ4・17)
アブラハムは、無から有を造る神の創造的御心を信じました。
あるとき彼は、息子イサクをいけにえとして捧げよ、という命令を神から受けます。実際にはイサクはいけにえとなる直前に無事に生還しましたが、このときのアブラハムの心境を聖書は記しています。
彼(アブラハム)は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。(ヘブル11・19)
たとえ息子が死んでも、神は生き返らせることができる。それほどアブラハムは創造的御心を信頼していました。
それゆえ彼の人生は祝福され、彼の子孫は空の星、海辺の砂のように数多いイスラエル民族となりました(創世記22・17)。